朝食前に 工場を一巡 勤勉努力の塊り 斉藤 知一郎
斉藤知一郎は都市対抗の野球戦でフアンに親しまれている大昭和製紙の会長である。この会社の発足は昭和二年昭和製紙(株)という名前で、細々とスタートを切ったのにはじまる。
彼は社長として文字通り夜の目も寝ないほどの粉骨砕心ぶり。社運の隆昌を盛り上げ、昭和十三年に今日の大昭和製紙(株)をつくりあげた。
斉藤は世間にありふれた学歴とか門閥とかで、温室育ちの地位を固めた男ではない。全身これ勤勉、全霊これ努力、というていの男である。三十にして立つという孔子の言葉をその儘、本当に張りつめた弓の矢が放たれるような緊張さをもって仕事と取組んだ男。
朝早く起きて工場を一巡しなければ、朝食をとらない。十年一日の如くそれを実行している。世俗に朝飯前という言葉もあるがこんなむずかしい実行はなかなか朝飯前どころではない。いや、彼は社長になっても、会長になっても社長室にいる時間よりも、むしろ工場にいる時間の方が長いようだ。
夜の夜中でも、彼は憑かれたように工場に飛び出すことがある。時として工員の誰かがうたた寝をしている。勤務時間なかの睡眠は勿論就業規則の禁止しているところであるが、斉藤は黙々として工員の足元に外套を掛けてやる。風邪をひいてはならないからだ。目が醒めてこのことを知った工員は社長の温情に感激して二度とこんな過を犯すまいと決意する。
本年とって六十七才。社会的には吉原商工会議所会頭あるいは紙パ連合常任理事、静岡県経協理事、事業的には岳南鉄道会長、駿河銀行監査役等々の仕事を背負わされている。しかし彼も東洋醸造の臼井と同じく、本当に関心を注いでいるのは教育の仕事。生れ故郷の旧吉永村に幼稚園を建てるやら、吉原市に斉藤育英資金を設けるやら、田子浦高等学校の理事長として経営の面倒をみるとか、その他教育方面の仕事に対しては進んで浄財を投ずるという熱意の示し方。身を持すること極めて倹であり五男一女の父親として、長男には五人の孫もあるという子福長者の賑やかな家庭でありながらまことに質素な暮し向き。
財界人の生活というよりも寧ろ教育者の生活振りを思わせるようだ。とりたてていうほどの趣味もなければ娯楽の道も知らない。気が短かくて物事にせっかちなところが、玉にキズ。余りイライラすることは長生きのためには毒。この老先輩のために、なにかノンビリとした気分を養えるような趣味か娯楽でも与えてやりたいものだ。なに!年寄りの一徹で、人のいうことなど聞かないというのか。まさかそんなこともあるまい。(31.3.29)
経営人わしが國さ 前田 一 著(元日経連専務理事)
日本経営者団体連盟 弘報部 昭和34年9月1日 刊行
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